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SyncLife

GLOBIS CAPITAL PARTNERS & Co. ベンチャーキャピタリスト 上村康太 のブログ。

『運が良い』について考えてみる。

徐々に日中の暖かさが増し、春の足音が聞こえてくるようになりましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

日曜日の昼下がりいつものようにネットサーフィンをしていると、ふと、こんな記事が目に止まりました。


成功している人とは「一生懸命努力した普通の人」 | ライフハッカー[日本版]


詳細は元文を読んで頂くとして、こんなことが書かれていました。

"情熱を持ち、熱心に打ち込み、能力は身につけることもできると信じましょう。才能のある人を見ると、うらやましいなと思うかもしれませんが、立ち止まってその人に話を聞くと、トップに立つまで何年も努力をし続けていることが多いです。" 

"あらゆる成功が才能ではなく能力によって収められていると思うと、世界が大きく広がります。成功している人が「一生懸命努力した普通の人」に思えるようになります。成功した講演者は、陰ながら練習や経験を積んでいるのだろうと思えます。熟練したプログラマーは、とてつもない時間をかけて言語を習得してきたのだとわかります。優れたビジネスマン/ウーマンは、勤勉な投資家だったということです。生まれつきの才能とは磨くことができる能力だと思うようになると、自分が熱心に努力を続けている限りは、やりたいことで成功できるのだと思うことができます。"


あぁ、まさにそうだなぁと感じました。色んな分野で成功した/している人の多くはこう言います。

「まあ一言で言えば、才能があったってことですかね...笑」

それを聞いて多くの人は「そうかそうか、彼は才能があったからこれだけ成功したんだな。そりゃー自分には無理なわけだ。」と思います。

ただ、この言葉の裏にはこんな言葉があると僕は思っています。 

「(数ある自分がやれること、やりたいことがある中で、その中で自分が好きである程度得意だと思ったこれだと思うものを選んで、何が何でもやりきってやろう、一番になろうと思って、色んなことは二の次で打ち込んで、そりゃーやってく中で上には上がいることを知って凹むこともあったけど、自分なりにやれる限界までは頑張ってやろうと思って、死ぬ物狂いで努力したんですよね。まあでももし根本的に恐ろしく向いてないことをやっていたとしたらここまでは成功しなかったと思うので、)まあ一言で言えば、才能があったってことですかね...笑」

成功の定義は何かという議論に入るともう話がしっちゃかめっちゃかになるのでここでは論じませんが、一つ確かなことは、努力なしでの成功などありえないということです。

どんなことだって努力をすれば出来るようになるというのは暴論ですが、多くの場合、入り口で自分には才能がない、で片付けてしまっていることが多いように感じます。そもそも全力でやってみないとそれに自分の才能があるかどうかなんて分からないというがほとんどの場合なので、まずはごちゃごちゃ言ってないで全力でやってみなよ、という話です。

こんな話をしていると次に出てくるのが、「いや、才能もそうだけど、運が良いってのは重要な要素ですよね」という話。

確かに、多くの成功した/している人はこう言います。


「僕は運が良いんです。」

それを聞いて多くの人は「ああそうかこの人は運が良い人なんだ。ラッキーな人はよいなぁ」と思います。

ただ、僕はここにも話し手と聞き手の間にエアーポケットがあると考えています。

一体、運が良いとはどういう意味でしょうか?

経営の神様と称される松下幸之助氏が面接でよく「君はこれまで運がいい方でしたか? それとも運が悪い方でしたか?」いう質問をしていたと言われています。

そして、「とても運が良かったです」と答えた学生は合格になり、「運がいい方ではありません」と 答えた学生は不合格になったそうです。

その理由は、「運が良かったという人は、周りの人に助けられてきたという『感謝』の気持ちのある人で、たとえ逆境に陥っても、運のせいにせず前向きに取り組める人物だと判断していたからで、松下幸之助氏自身も、「私は運が良かったから成功した」とよく言っていたとのこと。

ここにあるように、自分の身の回りで起こる事象に対して、どう捉えるかという「捉え方、心の持ちよう論」も運というものを語る上では重要だと思います。

しかし、一方で、とはいえ、どう考えたって彼の方が自分より運が良いように感じる。ということは生活の中で生じます。

これはどう捉えれば良いのでしょうか?

僕は、運とは単純に【確率・選択・努力】の問題だと思っています。

どういう意味かというと、ある人が宝くじの1等(4億円)に大当たりしたとします。この人は運が良いでしょうか?

あるデーターによれば宝くじの1等の当選確率は1000万分の1だそうです。人が交通事故で死ぬ確率が1万分の1なので、どうやらこの人は運が良いと言えそうです。

確かに彼は宝くじを買うという行為を行ったからこそ大当たりしたのです。ただ、そこに辿り着くために行った「宝くじを買う」という行為に必要な努力は限りなく0に近いです。

宝くじというものに当たる為に、人が取ることが出来る努力は「買う」ということのみです。金色の財布を持っていたとか、いつも周りの人に笑顔で接していたとか、水回りを綺麗にしていただとか言うのは、関係ないです。ただ、単に買ったら当たったのです。そこにあるのはそれだけです。つまり、成功に至るために出来る努力が残されていないのです。

一方、カジノで億万長者になる確率は60万分の1と言われています。また、カジノなど特定のギャンブルには勝つための努力をすることで勝つ確率を上げる方法が存在します。つまり、成功に至るために出来る努力が残されているのです。

ここで2つを整理をするとこうなります。

・1000万分の1の確率の勝負×出来る努力がない
・60万分の1の確率の勝負×出来る努力がある

もし、単に一攫千金を夢見て宝くじとカジノの二択しかなかったとしたら、カジノに挑むほうが"分がある"ということになりそうです。なお、ここでは厳密な比較をすることが目的ではないので、そもそもの元手の話だったり、リターンの話は棚に置いときます。

つまり世の中には勝ちやすい勝負と勝ちにくい勝負というのがあり、また勝つ確率を上げられる勝負と上げられない勝負というものがあります。

低い確率と一般で考えられているものを手にすることを「運が良い」と呼ぶのであれば、その中でもより確率が高い勝負を選択し、努力のしようがある勝負に挑むことが賢明であると言えます。

すごく雑な言い方をすると「運の良さ」は自分の選択と努力次第でコントロール出来るのです。

先ほど述べた「僕は運が良いんです。」という多くの成功した/している人。

彼らは、自分の能力を鑑みて、自分の能力でどうにかなりうる比較的成功確率の高い領域を選択し、そこで成功するために最大限成功する確率を上げるよう努力し、その結果、運を掴んだ人たちであると僕は考えます。

最後の最後は正直運の勝負になることは往々にしてあります。
ただし、その運を掴める位置に自分を進めておくこと、そして最後の最後までその運を掴むための直接的な努力をすることが重要であると考えます。

こう書くと反発を受けそうですが、
受験だって、就職だって、案件受注だって、最後の最後は運です。

そこには必ずコントロール不可能な領域があります。

でもそこは皆一緒なのでそれは仕方ないと割り切り、出来る限り確率を上げるべくそれまでに一番近道になりそうな場所を選択し、その中で努力することが「運の良い人」になる近道なのではないでしょうか。

以上、人は「選択と努力」次第で、運が良い人になれる、というお話でした。

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